移住体験記
〜第2話 近藤 徹さん〜
移住体験記、第2話は、いつも元気に会の活動に参加してくださっている近藤 徹さんです。

ニセコの近藤さん宅
 私は、平成二年の秋、幼稚園の頃から続いていた喘息持ちの長男(当時小学五年生)と小学一年の秋からちょっとしたことがきっかけで不登校になってしまった長女(当時小三年生)達を北海道の大自然の中でたくましく育てるため、思い切って東京の大都会からニセコの山の中に引越してきました。

 子供たちが転校した小学校は、ニセコ・アンヌプリ国際スキー場近くの湯里温泉郷にある、いわゆる山の分校のような小さな小学校でしたが、わずか十八人しかいない生徒たちは皆、生き生きとしていて、都会の子にはない何かえたいの知れないエネルギーが感じられました。 

 羊蹄山麓のパノラマのような大自然に囲まれたすばらしい環境の中にその小学校があり、年間を通して、野鳥観察や沼巡り遠足、町内マラソンやクロスカントリー・スキーなどが日常的に行われ、厳しく且つすばらしい大自然の中でたくましく成長しているとても元気な子供たちを目の当たりにすることができました。
 そして、盛り沢山の自然学習や各種行事の陰に、これを支えている情熱に燃えた若い先生方や、本当に献身的で協力的な父兄や地元の方々がいることがわかり、「これが真の学校教育なんだなぁ」と改めて感心するとともに、こういう環境の必要性を強く感じました。
 東京のような大都会では、家族も近所付き合いも、PTA活動もみな個々バラバラで、本当に一体感がありません。北海道では、厳しい自然環境を克服し、みんなで力を合わせてたくましく生きてゆこうという気概があり、ここには、まだその良き伝統が残っているように感じられました。

 私がニセコへの移住を決意するにあたり、会社に北海道への転勤願いを出しましたが、その要求は、簡単には受け入れていただけませんでした。ところが、丁度、札幌にある関連会社で空席ができ、そこへ出向する形で移住を実現することができました。
 しかし、家族がニセコの山の中に住むことになったため、私は、毎週金曜の夜にニセコに帰り、月曜の早朝また札幌に戻るという変則的な生活が続きました。
 でも、ニセコでの生活や地元の人達とのおつきあいや学校行事への参加を通して、北の大地に根ざしているたくましい人々と直に接することができ、私にとってもすばらしい体験ができました。 湯里小学校の先生と生徒

 例えば、6月中旬に行われる大運動会では、始まる前のグランド整備やテント張り、看板や万国旗の取付けなどをPTAが朝早くから集って行い、運動会終了後の後片づけの後に、校庭でバーベキュー・パーティを開きます。
 この前の運動会では、通常のジンギスカン用の焼き肉の他に、ホテルのコックさんをやっているお父さんがすばらしいロースの固まりを差入れてくれて、豪華なステーキ・パーティとなりました。もちろん、野菜は農家のお父さんが今朝取ってきたばかりの新鮮な野菜です。キャベツがこんなにも美味しいのかとビックリしました。
 そして、暗くなってからは、学校の隣にある教頭や校長の家に席を移して、夜遅くまで町長や教育長も交えて、子供の教育論や過疎化の問題などを楽しく語り合うことができました。

 また、学校の雪囲いや前庭整備の時には、農家の人がブルトーザーやユンボを運転したり、ペンションのオーナーやホテルの外構工事をやっているお父さんが、丸のこやチェーンソウ、果ては、電気溶接機まで持ち込んで、あっという間に整備作業が完了です。普段、紙と鉛筆だけで仕事をしている私は、皆の仕事振りを見て、ただただ目をみはるばかりでした。恐らく、この小学校の生徒は、このようなお父さんたちの働く姿を毎日見てたくましく育っているのでしょう。
 こんなすばらしい環境の中で、私の息子達も、日一日とたくましく成長し、健康上の問題と不登校も解消でき、無事、小学校を卒業し、中学そして高校へと進学できました。 ニセコの紅葉と近藤さん

 私自身も、この子供たちとともに、大変すばらしい体験ができたわけですが、実は、このすばらしい土地に永住すべく、地元企業への就職の機会も探ってみました。しかし、若い世代での農業やペンション経営等への就業の機会は沢山あると思いますが、40歳代後半を過ぎた人間にとっては、大企業でのXXスペシャリストというような肩書やキャリアがあっても、再就職への道はかなり厳しい状況です。
 北海道には、地場の特色を活かしたすばらしい企業が沢山ありますが、給与格差があるとか、仕事の仕方が違うとか、つい道外の感覚で物事を考えてしまいがちです。私自身そう感じていましたが、最近ようやく、そう考えるのはナンセンスではないかと気づきました。

 北海道には本当の意味でやる気のある人たちが作ったフロンティア精神に満ちあふれた企業がたくさんあります。勿論、できることなら、そんな会社を独力で作るのもよいでしょう。ドジャースの野茂投手は誰も出来ないと思ってた夢を、いとも簡単に(?)に実現してくれました。オリックスのイチロー選手も震災で落ち込んでいた神戸の人々に勇気と元気を与えてくれました。
 北海道は、他では出来なかった何かを実現することのできる希望の大地だと信じています。先が見えないこの時代だからこそ、本当に信じた夢に向かって、着実に歩むことが一番大切なのではないでしょうか。そして、このことに一早く気付いたことが、北海道に来て、一番よかった事だと思っています。

1997/06/22(日) 札幌宅にて 近藤 徹
e-mail: tokondo@jcom.home.ne.jp
近藤 徹さん
札幌市在住
既婚・会社員
私設 北海道開拓使の会編かわら版「ニセコ物語」執筆


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