移住体験記
〜第5話 やなぎもと よしのぶさん〜
移住体験記、第5話は、この春、大阪から美瑛に移住したやなぎもと よしのぶさんです。

新栄の丘にて
 生まれも育ちも大阪の僕が北海道に移住するきっかけになったのは、平成8年の夏に北海道を旅したことでした。

 その年の7月に6年ちょっと勤めた会社を退職し、時間と仕事に追われる毎日からすこし距離を置きました。
それまでの僕の生活と言えば朝8時から夜の9時10時頃まで仕事に明け暮れ、自分の時間が無い状態でした。
もちろん日曜日や祝日であっても仕事をしなければならない。残業は月に100時間は当たり前、多いときは160時間以上残業した時もありました。 家に帰っても仕事の事が頭から離れず、お酒を飲まなければ眠れない。自分の生活はあれ放題。そんな状態でした。

 ふと、気がついてみると今まで交流のあった多くの友人から、ものの見事に連絡が途絶え年賀状の交換だけになってしまいました。そんな、生活に嫌気がさしていたときに職場で少し問題が発生し、これを機に会社を辞めることを決意しました。

 会社を辞めた後に今まであこがれだった北海道に、愛車(bemjymin2号)に乗ってぶらり一人旅に出ました。
出かける前は北海道に移住しようなんて気は全然ありませんでした。むしろ、身も心も自由になって「生きている!」という実感を北海道で確かめたかった。そんな想いの方が強かったです。

 舞鶴港から小樽港に29時間の船旅を経て初めて北海道に上陸したときは、すごく清々しかったのを覚えています。(単に到着が午前4時過ぎだったからかもしれませんが....。)

 上陸してすぐに北海道のスケールの大きさに感動しました。
大阪にいては見ることのできない光景がごく当たり前のように広がっていました。
大阪では切り裂かれた大地と空がこちらではすごく大きかった。山々は雄大でその中で生きる動物達や木々の力強さを肌で感じ、自然の中での自分の無力さを再認識させられました。

 北海道での旅は22日間でしたが、同じような境遇で旅しておられる方々やライダー・チャリダーのみんなと旅先で出会えてとても楽しかったです。北海道を旅しているときにふと「こんなスケールの大きなところで暮らせたらいいな〜ぁ。」なんて思うようになりました。でも、そのときは本当の夢物語でしかありませんでした。

 大阪に帰ったあと再び就職し、やんややんやと仕事をしていましたが、満員の通勤電車の中でいつも思い描いていたのは北海道での出来事ばかりでした。

上富良野町のとある畑にて  平成10年の春にまた愛車(bemjymin2号)で6日間ほど北海道を旅しました。
 その頃から「次に転職するときは北海道にしよう!どうせ移住するなら若い方がいいに決まってる。」なんて脳天気な事ばかり考えてました。でも、よく考えてみると満更でもないなと。とりあえず情報だけでもと思い転職情報誌やインターネットなんかで就職情報をチェックしたりしてました。

 ある日のこと、大阪駅前第1ビルに各都道府県の大阪事務所があるのを思い出し、仕事の合間をみて訪ねてみました。そこで、札幌人材銀行なるものがあることを知りさっそく、申し込み用紙を頂戴し登録しました。

 札幌人材銀行は北海道へのUターン・Iターン希望者の職安みたいなもんで求職希望者から企業に対する面接の応募やその逆の企業から求職希望者に対する面接の応募を円滑に調整してくれます。僕もこの人材銀行を通じて就職先を見つけ移住を果たしました。
 僕の場合はこのご時世、非常に稀なケースだと思いますが登録を行った後に企業の方から、面接を希望したいという大変有り難いお話を頂戴しました。

 5社からお誘いを受け12月から2月にかけて会社訪問をさせて頂きました。
どの会社も待遇は申し分なかったのですが都会よりも少し田舎町で働きたいという思いと美瑛のすばらしさにひかれて美瑛の会社に決めました。

 3月に再び美瑛を訪れ2泊3日で、こんどお世話になる会社の専務さんと家探しをしました。
この冬、雪は例年になく多かったみたいで移動が大変でした。美瑛町は家が不足しているみたいで、役場の方々も農協の方々も口をそろえて「空き家は無いです。」との冷たい返事。「むしろあったらおしえてくださいな。」と逆に聞かれる有様でした。

 そんなこんなで家探しの初日はあっという間に過ぎ、2泊ほどお世話になる「丘の宿 ほおずき」さんのマスターとママさんそして専務と話をしていたところママさんが「確かあそこのお宅この冬に離農されたんじゃなかったかしら」という小耳にはさんだ情報から草の根ネットワーク的な活動が始まりました。
 電話帳で調べたり、専務やマスターが知り合いに家に電話をして情報を集めてくれたりして何とか、家の持ち主を探し当てることができました。

 次の日、さっそく電話を入れ夕方におじゃまする約束をとりつけました。
その間、他のめぼしいところを廻ったのですが、どこの家もダメでした。
離農される農家は辞めるときに家を農協等の金融機関に担保として入っているらしく売買や貸し借りができなくなっているようでした。

 夕方に、離農された農家の家を買ったと言うお宅におじゃまし、交渉が始まりました。
すでに町中のめぼしいところをすべてあたって1軒も空いてない状態でしたので、この間に家が見つからなければ就職するのは無理かな。と感じ始めてました。

 交渉はやはり難航しました。僕の他にも家を貸してくれというお話が何件もあったみたいでしたが、僕が大阪から移住して美瑛に移り住むこと、また地元の会社に就職すると言うことを事細かに説明しましたがなかなか、首を縦に振ってくれませんでした。

 しかし、幸いなことに今度僕の就職する会社が地元で非常に信頼があること、会話の中で大家さん宅が就職先の先代の社長と親しかった事などが解り快く貸してくださることになりました。

家とbemjyminと私  家の間取り6LDKの2階建てで1軒屋、庭もついてます。この広さで家賃はなんと4万5千円です。大阪で生活していた1Kの家賃が5万5千円だったので本当に夢のようです。
 4月上旬に大阪で勤めていた会社を退職し4月16日に愛車とともに大阪を出発し、29時間船に揺られて18日に美瑛に到着しました。翌19日に転入手続きをし美瑛町民になることができました。

 仕事の方は結構忙しいですけど、今まで満員電車で1時間かけて通勤していたことを考えると本当に楽です。今では、車で5〜6分程度で通勤できるので夢のようです。また、景色が本当に美しいので仕事のあい間に外の風景を見て楽しんでます。
 また、大家さんが農家なのでジャガイモやアスパラなんかを分けてもらったりいろいろ気を使ってくださったりと本当に親切です。近所の方々もとても親切で人と人とのふれあいがとても楽しいです。
こちらの生活に慣れるまではまだまだ時間がかかりますが、これからゆっくりと馴染んでいきたいと思ってます。

 今回僕が、移住を果たせたのも両親や兄弟の理解があったこと、開拓使の会 特に大阪実行委員会のみんなの励ましがあったこと、もちろん東京実行委員会の大久保さんや村尾さんの存在も見逃せません。
 会社の専務や「丘の宿 ほおずき」の中島夫妻の協力が非常に力強かった。そしてなにより、自分自身が移住するぞ!と言う強い意志があったからだと思います。

 いま、北海道は非常に景気が悪い状態です。地元の高校生が就職するのに非常に苦労しているぐらいですから、北海道に転職を希望される方は他の人よりもアピールできる武器がないとなかなか就職できないのが現状です。

 こちらにとりあえず移住して就職先を探すとなると、それなりに苦労を覚悟しなけれならないと思います。しかし、都会に比べると格段に生活の向上は望めると思うので、少し余裕のある方は思い切って移住してみるというのも悪くないかもしれません。なにはともあれ、やる気があれば「なんだってできるんだ!」という事をいまさらながら感じてます。

 僕の移住は非常に稀なケースですが、移住を考えておられる方に少しでも参考になれば幸いです。
 自分の意志を明確にし、少しずつ少しずつ前に進んでいけば、必ず夢は現実のものとなりますよ。
 自分を信じて自信を持って行動しましょう!!
この春、大阪から美瑛に移住した「やなぎもと よしのぶ」でした。
E-mail: daizuazukidog@yahoo.co.jp

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