'99東京集会のレポート

 開拓使の会東京集会が、事務局の太田さんをお迎えして、去る10月31日(日)、芝の青年会館で開催されました。

 当日は太田さんの他に、前日に東京国際フォーラムで開催された「U・Iターン北海道フェア」のためにお見えになっていた北海道檜山支庁職員の新保さんが特別ゲストとして参加して下さり、会員からの質問に答えてくださいました。

 参加者は約40名、具体的に北海道移住を考えている人、まだまだ「夢」の段階の人、あるいは単に北海道が大好き、という人まで、レベルは様々ですが、集会終了後の懇親会を含め、私たちにとっての「希望の大地」北海道を語り合う貴重な機会となりました。以下、そのその状況をご報告します。

<準備>

 会の前日、会員有志数名が事前準備のため、U・Iターンフェアの開拓使の会ブースに集合。私も初めて参加させていただきましたが、ベテラン(?)の熊崎さん、大久保さんを中心に、翌日の進め方や役割分担について打合せました。その後太田さんにも入っていただき、飲みながらの打合せに移行。今後の東京での会の在り方や、行事について知恵を出し合うことで一致。しかしこの日は知恵よりもジョッキの数の方が多かったような・・・(後で聞いたらいつものことだそうです)

<自己紹介>

 さて、当日、会場が最寄駅から少し遠かったこともあって、遅れてみえる方が多く、定刻より十分遅れて、岸さんの司会で開会しました。
 まずは参加者の自己紹介からですが、例年だと各々が北海道への熱い思いを語る余り、自己紹介だけで1時間半もかかってしまう、ということで、今年は名前と現在の居住地、そして移住希望地の3点のみに絞ってもらうことにしました。いつもだとそれでも5分以上しゃべる人もいる、ということで、開会のあいさつで大久保さんが、そして司会の岸さんがそのことを強調。ところが、ふたを開けてみたら、薬が効きすぎたのか、全員の自己紹介がわずか10分足らずで終了してしまい、逆に時間調整が必要な羽目に・・・これだから難しい。

<質疑応答>

 はじめはやや遠慮がちだった参加者のみなさんですが、徐々に質問が活発に飛び交うようになりました。多かったのはやはり厳しい経済状況に関することや、住まいのこと、そして冬の生活のこと。給料や家賃の水準にはじまり、「内地の車はそのまま使えるの?」「夏はクーラーが必要?」「雪が降っても衛星放送は映りますか?」(大丈夫だって!)という質問から、「ハンディを持つ人の雇用状況は?」といった質問まで、太田さん、新保さんとの間で熱心なやりとりが続きました。
 中には、一緒に参加するはずだった奥さんに直前になって反対され、ご主人ひとりで会場に来た方もいて、太田さん思わず「大丈夫ですか」。また、「北海道の人は内地の人ほどあくせく働かない」という太田さんの説明に、道産子の新保さんが笑顔で反論する場面もありました。
 念願かなって北海道への移住が決まった、という方の報告もあり、みんなちょっぴり羨望の眼差し・・・
それにしても、新保さんがせっかく参加してくださったのに、道南への移住希望者が少なくて、ちょっぴり残念そうでした。ゴメンナサイ。

<懇親会>

 集会終了後、会場を移して懇親会が行われました。初対面の人同士が多かったのですが、そこは北海道が好きで、そこに住みたい、と夢を持つ者同士、アルコールが入るとすぐに打ち解け、「北海道」をサカナに、大いに盛り上がりました。太田さんと私にとっては、ビールの銘柄がちょっぴり残念・・・(やっぱりビールはサッポロビール!)。でも4時間以上も盛り上がり、懇親会が始まるときにはまだ外が明るかったのに、終わるころには9時近くになっていました。

<エピローグ>

 私自身、通算11年暮らした札幌を転勤で離れて早5年、会社には「返せ、戻せ」と要請中(?)の身の上ですが、久々にそんな気持ちを気兼ねなく語れる、そんな貴重な機会がこの会合でした。 開拓使の会の財政状況も厳しい、というお話もありましたが、我々にとっては貴重な機会であり、来年以降も会員が力をあわせて、集会を続けていくと共に、集会だけではなく、忘年会やお花見等、東京独自のイベントを実施できたら、と考えています。私もできる限りの協力をさせていただきますが、懇親会の席上、今後の会の活動について具体的な提案をして下さった方もいて、その点、心強い限りです。


 最後になりますが、事務局の太田さん、お忙しい中、檜山支庁の資料をわざわざご用意いただいて参加して下さった新保さん、本当にありがとうございました。そして当日のスタッフのみなさん、お疲れ様でした。

<P・S>
 事務局の反省飲み会の模様は、改めてお伝えいたします。
 (東京実行委員会:林 秀行)    


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